DIALOG 04
海外大学出身者 座談会
海外で得たモノ そして兼松で叶えるコト
兼松には
多様なバックグラウンドと
多彩な個性が活きる
チャレンジングな環境がある
多様なバックグラウンドと
多彩な個性が活きる
チャレンジングな環境がある
MEMBER
-
宮部 佳也代表取締役社長
1983年入社
土木工学科 卒高校卒業後、アメリカの大学に留学。入社後から現在までの3分の1の年月、米国に駐在。現在は部門の戦略、施策、それに応じた体制の構築を担う。また、グループ会社と連携し、オール兼松で新規事業の構築を目指している。 -
桐畑 和起半導体装置部
2007年入社
工学部情報工学科 卒日本の大学を卒業後、イギリスの大学院に進学。入社後、4年半にわたって米国シリンコンバレー駐在を経験。現在は、主に台湾、中国といったアジア各国に半導体製造装置を販売するビジネスに従事している。 -
荻間 妃人事部 人材開発課
2019年入社
国際学部国際ビジネス科 卒高校を卒業後、アメリカの大学に留学。社会問題に対してどのようにビジネスでアプローチができるのかを学ぶ。最も興味深かった授業は、「Social Entrepreneurship」。留学中のホームステイ先のホストファミリーは第二の家族。現在は、新卒採用の主担当として業務を遂行。
CHAPTER 01
日本ではできない経験を求めて海外へ
本日は、海外大学出身者の皆さんに、留学の意義や現地での経験がどのように兼松のキャリアに活きているかを伺いたく、お集まりいただきました。どうぞよろしくお願い致します。早速ですが、なぜ海外留学したのかを、教えいただけますか?
宮部
私の場合40年ほど前の話な上、人に語れるような理由は何もなくて・・・とにかく海外、気づいたら憧れのようなものを抱いていたアメリカに行きたかったんです。今のように海外に気軽に行ける時代ではなく、情報も少なかった・・・そのハードルの高さに駆り立てられたのかも知れません。その分、好奇心も掻き立てられたのでしょう。
桐畑
私は日本の大学を卒業後、同大学への大学院進学が決まっていたのですが、最終的に海外に行きたいという想いが勝り、急遽、イギリスの大学院への進学を決めました。もともと将来はグローバルな仕事に携わりたいと考えていたので、海外の大学に行った方が自分のためになると思ったんです。荻間さんはいかがですか?
荻間
中学2年の時に家族旅行で訪れたフィリピンで、自分よりも幼い子供たちが物乞いをしている、そんな貧困の現実を目の当たりにして、「本当にこういう世界があるんだ」とショックを受けたのがきっかけです。いつか大人になったら、世界中の人たちを豊かにできるような人になりたいという想いを内に秘めつつ、そのためには海外の文化や言葉、そしてビジネスを学ぶ必要があると・・・。
宮部
憧れと好奇心がベースの私と違って、すばらしい動機ですね(笑)。
荻間
とんでもないです。むしろ、インターネットで手軽に情報収集ができ、海外大学とのやり取りも比較的容易な現代とは異なる時代に、海外留学したということ自体に感銘を受けます。
宮部
アメリカに到着した日、宿泊先が決まってない、運転免許証もない、クレジットカードもない、英語も話せない・・・つまり、勢いに任せてアメリカに行ったのは良いが、何にもできないことにようやく気づいて、不安の中、空港で一夜を過ごしたことをよく覚えています(笑)。
一同
笑い
荻間
それから、どうされたんですか?
宮部
最終的に空港のJALカウンターの日本人の方が手を差し伸べてくれて・・・今思い返すと、人間どんな状況であろうと必死にもがけば、なんとかなるんだなと、体験的に学べたように思います。
桐畑
同感です。私も急に留学を決め渡英したので、色々と苦労しましたが、結局何とかなりました(笑)。覚悟を決めたらとりあえず行動してみる・・・ただ、今考えると怖くてできないですが、あの時は若かったのだと思います(笑)。
一同
笑い
CHAPTER 02
問われたのは、自分自身のアイデンティティ
桐畑
イギリスの大学院で驚いたのは、「答え」よりも「考える」ことに重きを置く授業だったことです。それまでは、理系だったこともあり答えありきの問題ばかりに触れてきたため、とても新鮮でした。「考える」ということを鍛えられたこの経験は、価値創造を行う兼松のビジネスで役立っていると思っていますが、当時は苦労しました。
荻間
アメリカの大学でも、答えだけでなく、その答えについて「あなた自身はどう考えるのか?」と自分の意見を常に求められました。はじめの頃は、授業のディスカッションで一言も発言できずに終わることが何度もあって・・・、このままではダメだと思い、変わった考えだなと笑われてもいいから頑張って発言するよう心がけていくうちに、自然と考える習慣や伝える力がついたと感じます。
宮部
私の場合、理系の科目では誰にも負けたくなかったので、誰よりも勉強したのを覚えています。海外の大学は、宿題や課題が多く、そこに必死に取り組んでいるだけでも、自ずと鍛えられる環境であることが特徴の一つだと思います。また勉強以外でも、外の世界から日本を見ることで、一種の自覚が生まれたと感じます。いかに日本という国がすばらしいか、恵まれているか・・・日本人としてのアイデンティティが芽生えてくる。国際人という言葉がありますが、「自分は日本人」と自覚することがその一歩であると感じますし、そこに気づけたことが、留学の大きな収穫だったと感じます。
桐畑
仰る通りです。海外では、「日本はどんな国なの?」「日本人はこういう時にどう思うの?」といった母国に関する質問をされることが多いですが、その問いに答える度に、改めて自分は日本人なんだということを、客観的に見つめ直せるんですよね。
荻間
授業に限らず、「何故、そう思うの?」「何が好きなの?」といった、パーソナルに踏み込んだ考えや意見を聞かれる機会が、本当に多いですよね。私は最初、それらに答えられなくて・・・今思うと、自分のことをわかっているようで、わかっていなかったんです。現地の人と仲良くなりたいので、当然一生懸命考えるようになるのですが、この自分の考えを発信するのが当たり前の環境が、「自分ってこういう人間だったんだ」という気付きを与えてくれました。同時に、さまざまな考えや価値観を許容できるようにもなりました。
桐畑
わかります。・・・あとは、Made in JAPANの製品でしょうか。日本製の電化製品や自動車を日常的に現地で目にし、改めて日本という国の影響力の大きさも体感しました。
CHAPTER 03
チャンスを与えてくれる会社。それが兼松
荻間
大学卒業に際して、アメリカで就職活動をしていましたが、「本当に働きたい」と思える企業に出会えずに焦っていました。そんな中で偶然、海外留学生向けのナビサイトで兼松を知り、WEB会社説明会を見て、直感的にピンときました。ここなら「世界中の人々を豊かにできるビジネス」をつくれるチャンスがあると。企業研究を進める過程でも、少数精鋭だからこそ、ビジネスの当事者として自分の夢を現実にできるのではないかと感じられました。
桐畑
私は留学を通じて、日本の良いものを海外に広める仕事をしたいと思うようになり、帰国後、メーカーや商社にアプローチしました。ところが、当時は新卒至上主義の時代で、イギリスの大学院を卒業して帰国した私は既卒扱いとなり、多くの企業から門前払いを食らってしまいました。そんな中、兼松はすぐに「問題ない、新卒として採用試験を受けてください」と柔軟に対応してくれました。その時に感じたんです。この会社は、杓子定規ではなく、誰にでもチャンスを与えてくれる土壌があると。
宮部
私は土木工学科を学んだので、帰国後にゼネコンを受けようとしたのですが、当時、アメリカの大学卒は、大学卒業資格として認められていなかった・・・。
荻間
え?・・・信じられないです・・・。
桐畑
時代ですね・・・。
宮部
で、あるゼネコンを訪ねて、応募資格がないと言われ、打ちひしがれていた時、ふと近くのビルを見ると兼松の本社だったんです。そこで思い出したのが、LA留学時代に、銀行で口座の作り方がわからなくて困っていた時、たまたま居合わせて助けてくれた兼松の駐在員の存在。その方は、この出会い以降も、本当に色々な場面で私の助けになってくれました。何のアポイントもない中で、思い切ってその方を訪ねると、すぐに会ってくださって、その場で人事部に取り次いで面接のセッティングまでしてくださいました。そして、その日のうちに入社が決まったんです。・・・結果的にではありますが、海外留学先での出会いが兼松と私を紡いでくれたんです。
荻間
本当にそんなことがあるんですね。
宮部
だから、二人のように高尚な理由で商社に行きたかった訳ではなくて(笑)。拾ってくれて本当にありがたかったなと。
桐畑
そもそも、宮部さんが兼松にほしいと思われるような人材でなければ入社は決まらないのでは(笑)。
荻間
思い立ってすぐに会ってしまう行動力もまた、商社ビジネスには欠かせないものですし(笑)。
宮部
単に、変わったやつがほしかったんじゃないかな・・・でもそれは今も同じだね。個性がある人を兼松は求めているんでしょう?
荻間
その通りです。
宮部
ただ、改めて思うのは、「縁」というのは本当にあるよね。そしてそれは、人と接するという行動の先にしか生まれない・・・そういった出会いに恵まれたこと、物怖じしない行動力が養われたのが、海外留学の一番の収穫かもしれません。
CHAPTER 04
世界中のヒトとモノを紡ぎ、新しいビジネスを創出する
荻間
入社後、留学で得た経験はどのように役立っていますか?
宮部
学生時代に言語、文化の違う人たちを相手にしてきたことで、相手の立場を考え、相手が何を考えているか、何を欲しているかを考える習慣が身についたことは商社で働く上で役立ってます。海外のお客様が多い中、その距離を縮めるのにそういった習慣は活きてきます。例えば入社直後の1980年代に、今でいうハードディスクドライブのモーターの製作依頼が海外からあり、国内で対応できるメーカーさんを必死で探しまわり、半年後くらいにお客様が満足するモーターが開発できたんです。そうこうするうちに、シリコンバレーにハードディスクドライブメーカーが新しく10社以上できるという情報を掴んで、最終的に兼松がその全ての会社にモーターを供給することになりました。その時の情報収集や相手との交渉において、留学経験で培った相手の立場になって考える力が大いに役立ちました。結果としてビジネスが生まれ大きく広がっていったのは、お客様が信頼してくれて、鮮度の高い情報を得られたからですから。
桐畑
留学経験を通じて、やはり一人でできることは限られているので、周りと人間関係・信頼関係を築くことが大切だと感じました。これはビジネスの上でも同様だと思っていて、顧客や代理店と良い人間関係を築けるように意識し働いています。
宮部
日本の商売は人脈が大事と言いますが、むしろ海外でのビジネスの方が人脈の大事さを痛感することが多いですよね。そこで日本人としてどれだけ存在感を出せるか、そして、あなたと仕事がしたいと思ってもらえるかが重要だと思います。
荻間
私はお二人程ではないですが、留学で得た感性を活かせていると思っています。ビジネスを創りたい一心で兼松に入社を決めましたが、実は採用担当も希望していたんです。内定者時代に社内イベントに参加した際、「どうして世界中でビジネスを創り出す会社なのに、日本で生まれ日本で育ち日本の大学を卒業した人ばかりなのだろう」と疑問に感じたんです。ダイバーシティが確立された環境にいたからこそ、そういったことが自然とひっかかりました。なので「自分の経験を活かして、日本だけでなく世界中に採用フィールドを広げ、よりクリエイティブなビジネスを生み出せる会社にしたい」と人事課長に伝えました。現在はそういった想いを大事にしながら採用活動をしているのですが、先日日本語が話せない留学生の方とお話をして、「あなたの会社を受けるために日本語を一生懸命勉強するから」と言ってもらえた時はすごくうれしかったです。今後も、留学生や海外大生を含めてさまざまな国々の方に兼松の魅力を伝えて、色々なperspectivesを持った人を採用していきたいです。
桐畑
今後の目標としては、「桐畑がつくった商売」と言われるものをいつか創りたいですね。私の部署には歴史の長い大きな商売があるのですが、そこから多くのビジネスが派生しています。そんなビジネスの柱になる商売をつくるのが目標です。
宮部
事業創造集団を標榜しているからこそ、今までにない新しいビジネスモデルを構築したいよね。兼松の最大の財産は、日々世界中のいろんな分野で商売している中で得られる情報と、それらのお客様のネットワーク。今は、工場を持っていないアップル社や斬新なアイデアのウーバー社といった企業が大成功を収める時代。これは、昔から事業創造・価値創造で勝負している我々には追い風ですし、成功の素地もある・・・やろうと思えばできるんです。
桐畑
業界の垣根がなくなって、新しいビジネスへの参入障壁も低くなっていると思います。仰る通り、今がチャンスですね。
宮部
とにかく、行動あるのみ! 恐れずに世界中を走り回り、さまざまな人と接点を持てる行動力が、面白いビジネスを引き寄せます。そんな頼もしい人材が一人でも多く採用できると良いですね。
荻間
ありがとうございます。今回は、海外大学卒業生というカテゴリーでお集まりいただきましたが、勉強で得た語学力や知識に加えて、体験で得た気付きやマインドが、その後の社会人のキャリアに大きく寄与していると感じました。何より、兼松には海外で培った経験や知識を活かして挑戦できるフィールドがあることも再確認できましたので、ぜひ時代の先端を行く事業や価値を共に創造していきましょうと、応募者に伝えていきたいです。
DIALOG INDEX